自閉症スペクトラム障害
ASDの子育ての極意=『通常の子育てよりなんでも丁寧に教える』ということに尽きます。それには、子供や家族を支える親が、毎日笑顔でいるタフなメンタルと生活できるお金がとても重要でした。実際となるとなかなか難しいんです。 ゴールは、子供の脳の臨界年齢まで、出来る限りの育脳をすると決め、笑顔で子供と向き合う為に、子供の障害以外で問題となる事は徹底的に無くす事から初めてました。 筆者の場合は、先ず親のみで解決する事が出来る時間とお金の問題に着手しました。 ①生活費に悩まないこと②筆者の当時の会社でのキャリアは諦めること③子供が8歳まで、療育や教育に時間とお金は可能な限り使った事です。つまりは、この時期月々の過剰な貯蓄をしない選択をしました。(爆貯め方法をやめました)毎月の貯蓄を、未来ある子供の脳の可能性に切り替え投資しました。 理由は、人の脳には臨界といってそれ以上成長しないという年齢があるようで、人間の脳の大部分が形成される臨界が8歳までが最も大きいという統計数値の為です。お金も使う時期を誤ると、活き金ではなくなります。お金はもっとも効果を発揮するときに使ってこそ価値があると思っています。 発達障害児の子育てと、お金のライフプランは密接に関係しています。そしてそれは、子供の成長とともに変わります。 筆者の人生は、子供の存在によって大きく変化しました。生きるという本質のこと、普通は当たり前ではないこと、物事を俯瞰してみる力、自然の美しさを感じることを子供から教わりました。感謝の気持ちを込めて、悩んでいるお父さん、お母さん、兄弟姉妹、ご本人などの疑問や悩みについて、私なりにでた答えをご紹介して、少しでも心が穏やかになるお手伝いが出来ればと思います。ASD診断前(乳幼児)
本や情報サイトで載っている目が合わない、手をひらひらさせるなどの行動は全くありませんでした。赤ちゃんのころは、よく笑い目も合い、1歳前で一人で歩くことも出来ました。病院を受診したきっかけ
言葉が出なかったからです診断を受けてからの療育、育児
筆者は、子供が2歳前のころから、取り憑かれた様に発達障害の疑いというキーワードを検索する事が毎日の日課でした。当時の筆者は、我が子は障害が無い、あるわけがない、という答えを探していました。今振り返ると、その時間を子供や自分と向き合う時間に充てたらよかったと感じています。 それは、脳の臨界期は6歳までが非常に重要でその時期の毎日が非常に大切だからです。これは、ASDや知的障害児に限らず、全ての子供に当てはまることです。 ただ、子の育脳に一生懸命になると息が切れます。正しいか分からず、結果も分からない事に、6年間毎日緊張して毎日走り続ける事はとてもストレスになります。 筆者は、生き抜きが苦手でストレスがたまり続けてしまいましたので、息を抜くことにも上手になる事をおすすめします。 楽観主義です。親が心身ともに健康を維持
発達障害の子育ては、心身ともにタフなハートが必要。筆者の子が乳児の時は、毎日オムツ、おっぱいが原因でなく、何度も大きな声でよく泣くので本当に途方に暮れました。当時は何故泣くのかを冷静に考えられていませんでした。 何故泣くのか?『不安で怖い』『自分と社会との感覚の違和感』『意思疎通が出来ないことへの苛立ち』などが泣く事だったのではと思います。信頼共感できる医師、療育者を探す
筆者は、そんな我が子の何かがおかしいと思い、夫や親にその事を伝えました。 すると『まだ2歳だから、そのうち言葉は話すわよ、大袈裟ね』←無責任 区の保健師や医師の検査に行きました。 すると『未だ小さいので経過観察しましょう』←問題の先送り 等と言った言葉に翻弄され、筆者1人疎外感もありました。 周りの言葉に決して安心しないで下さい。「大丈夫よ」この言葉を発するひとを信用してはいけません。 母親、父親の、この子、何かが違う。何かがおかしいという直感を信じてください。 そして、出来るなれば自分の子供は違う、障害者なんかじゃないという気持ちを捨ててください。 筆者が実際そうであったように、経過観察したあの貴重な3ヶ月間は、非常に悔いが残っています。 経過観察しましょうと何もしなかった無責任な保健師や医師には二度とお会いする事はないです。 1年間経過観察していたら、この子は言葉も出ていなかったと思っています。 親が気がついて、正しい方向へ導いてあげなければ、その子は生きていけません。子供にあった療育施設に通う
療育施設に通ったから、子の障害が改善するわけではありません。そして、療育施設が障害を改善してくれるわけでもありません。療育施設に通わせている=改善するではないです。 市区町村の受給者証で通える療育施設に通っている事で、満足してはいけません。 間違った療育は、改善するどころかその子の障害の悪いところをより強化してしまいます。例えば子供に合ってるかは分からないが、人気があって入りたい施設に空きが無い=第二希望の施設に応募する=猛烈にあせるという事が加わると、本来の子供に合っている療育施設ではなく、通わせている事が目的となる本末転倒の事態になり得るというのが経験です。 筆者は、子供に合っていない療育施設は勇気がいりましたが、辞めました。子にあった療育施設がないのであれば、辞めて子供に合った療育施設に切り替えること、そもそも覚悟を持って家庭で療育する事、一貫した教えを貫く事でASD症状の典型なこだわりや癇癪が和らぎ、次第にIQも伸びていきました。 それぞれの療育施設も、筆者のように確固たる理念の元運営されています。ただ施設は、理念だけでなく運営することも必要なので、理念に経営(利益)という概念がプラスされます。 特に幼児期の子供脳は、すぐ歪んでしまいます。(誤った方向でインプットされてしまうという事です。)幼少時期の間違ったたった1〜2週間の教育は、直すのに数ヶ月要する事もあります。親亡きあとを具体的に考える
皆さん、ご自身亡き後の子供の生活や人生について具体的に考えていますか?
衣食住を一人で行えるように
まず、1人で生活出来るようにならなければなりません。 朝起きて顔を洗う、洋服に着替える、汚れたら洋服を着替える。汚れた洋服は洗濯する。お風呂に入る、歯磨きする。
季節にあった洋服を選んで着る。
料理する。食具を使って食事する。食器を片付けて洗う。ゴミを分別して、決められた曜日に捨てる。
住む家を確保して、掃除する。必要な家具を揃える、壊れたらメンテナンスを行う、又は依頼する
社会ルールを理解する
性について教える
幼児期から、他人の前で着替える=恥ずかしいという事を教えます。ASDの子は、長年習得してきたものを突然変えることが苦手です。
例えば、家ではママと呼ぶが、外ではお母さん、母と言った使い分けが苦手です。